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梓水神社の歴史探索ツアー Vol,2

「歴史探索ツアー」とは、地図に載ってはいるが山の奥深くで、
道はすでに廃道となって、入る人もいなくなって、ターゲットが
存在するのかどうかも分からない・・・。そんな乗鞍高原周辺の
気になる「歴史の史跡」を探索しようというものです・・・・。


先日のとある某日に、乗鞍高原の歴史を辿る講習が行われました・・・。
その講習とは、乗鞍高原の若い年代の人たちが、おじいさんの年代の
方々から乗鞍高原の昔話や歴史や逸話などを聞いて、もっと自分達の
住んでいる所を知ろう、そして後世に言い伝えよう、という講習だった
のでした。そして僕たちもその講習を聞きにいってきたのでした~。

なので、以前「梓水神社」の事は「歴史探索ツアー」で書いたのですが、
かなり昔になったので、ここでもう一度書いてみたいと思います~。

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乗鞍高原の下部「宮の原」にある「梓水神社」は、とても歴史のある
荘厳な神社です。 場所は大野川小中学校のスグ下ぐらいに、小さな
鳥居があるので、分かります。逸話や伝説や日本の歴史が好きな方は
ぜひ訪れて欲しい、とても古く歴史のある神社なのです!・・・。


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「梓水神社」の歴史ある話や一番古くからある石碑、拝殿や本殿などの
様式などなど、地元の方に話を聞きました・・・。

乗鞍高原にあるこの「梓水神社」が、千年も昔の書物「日本三代実録」
記されている「梓川神社」と同じ神社であるかどうかは、いまだに確かな
証は無いみたいですが、いずれにしても梓川の源流の乗鞍高原の地域に
鎮座するこの「梓水神社」が、前宮か奥社のどちらかであったことには、
間違いないとされています!!・・・。

今からおよそ1150年程前にあたる平安時代の貞観9年(867年)の日本初期
の書物「日本三代実録」に、この「梓水神社」は「従五位下」という「位」
を、朝廷から授かったとの実録が記されている記事のがあるのです!・・。
1150年前となると、他には長野県内では穂高町にある有名な「穂高神社」
「戸隠神社」ぐらいしかなく、それほどの大古の昔からの歴史があること
なるのですっ!!・・・。


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「梓水神社」の境内の一帯にある大地は、その昔は多くの池がある湿地帯の
小高い丘だったので、「ここの水をもらって散布すると、よく作物ができる」
と言われたり、昔は「雨乞い祭り」などが行われるなど、水にかかわる一種の
信仰の地とされていたようです・・・・。

現在この「梓水神社」へ行くと、そのようすが良く分かるような気がします。
この画像の神社の本宮社は、参拝の階段を登り切った丘の一番上に建てられ
ているのです。水を避けて少し高台の上に建てられたのでしょうか?・・・。
この拝殿と本殿に上がる前にも末社があり、とても荘厳な雰囲気があります。

そして「梓水神社」の祭神は「建御名方神(タケミナカタノカミ)」という神様
です。 この「建御名方神」は、「古事記」や「先代旧事本紀」に出てくる神様で、
「天照大神(アマテラスオオミカミ)」の孫である「瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)」
の降臨に先立ち、「武甕槌命(タケミカヅチノミコト)」が「大国主命」に国譲り
に反対し、「武甕槌命」に相撲を挑んだが負けてしまい、諏訪まで逃れて来た
ようです。そしてそれ以後は諏訪から他の土地へ出ない事を、天津神の命に
従うことを誓ったとされているようです・・・。なので信濃の国を創ったのは
ほぼ「建御名方神」とされていて、この「梓水神社」の祭神も「建御名方神」と
なっているのです・・・。

この他にも、信濃川の源流の1つとされている乗鞍高原は、分水嶺としての
土地なので、この「水の神様」=「瀬織津姫(セオリツヒメ)」が乗鞍龍神伝説
龍神様の正体では?!という説もあります。 「瀬織津姫」は水の神様で
瀧神、川神とされているようです。そして九州では「海の神」ともされている
ようです!! この九州が元だという話も「安曇族」の話と繋がります!!
瀬織津姫」の名前は、「古事記」、「日本書紀」などの代表的な日本古代書物
には出てきませんが「倭姫命世記」、「天照巫伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記」
「中臣祓訓解」などの書物では、「伊勢神宮内宮別宮荒祭宮」の祭神の別名が
瀬織津姫」として出てくるらしいです・・・。


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そしてなんと言っても、この「梓水神社」は、拝殿の紅梁や脇障子の彫刻が
とても素晴らしいのです!!  この「龍」の彫刻の画像をご覧下さい!!
これは1本の木から掘り出してこのように彫刻する掘り方で、後から彫刻
だけを付け足したのではないのです!、まさに芸術的な彫刻なのです!!
これは「井波彫刻」という掘り方らしいです。井波彫刻師は木彫で名高い
富山県井波町(現、南砺市)の掘り方らしく、このように全国から依頼を受け
各地にその芸術を残しているらしいです・・・。


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拝殿&本殿に上がる階段の前には、この乗鞍高原の昔の人たちの血族の
それぞれの「地組」の小さな鳥居が並んでいる場所があります・・・。昔の
人が自分達の血族を守ってきた「形」が、ここに表れているような気が
します・・・。

そして!!、
乗鞍高原のあるこの地は「安曇村」でした。「安曇」と言えば、昔むかしの
邪馬台国・卑弥呼の時代に北九州地方で活躍していた海人族「阿曇族」から
由来しています。発祥地は「筑前国糟屋郡阿曇郷」(現在の福岡市東部)と
されています。「安曇」は「海人津見」=(あまつみ)が転訛したものらしく
「日本書紀」の応神天皇の項に「海人の宗に任じられた」と記されていて、
「古事記」では「阿曇連はその綿津見神の子、宇都志日金折命の子孫なり」
など記されているのです! 日本最古の書物である「古事記」に「安曇」の
文字が記されているのですっ!!・・・。これはスゴイ事だと思います!

活躍した海人族「安曇族」は、その後全国に移住。その場所は、阿曇、安曇、
厚見、厚海、渥美、阿積、熱海、飽海、などの地名となって残っているよう
です! 特に!、この長野県の旧安曇村地域である乗鞍高原周辺には、
安曇族を祀った「穂高神社」やこの「梓水神社」などがあり、内陸部で
あるにも関わらず、例大祭は「御船神事」と言われ、海人族の名残である
大きな船形の山車が登場するのです!! なので、この乗鞍高原を含む
旧安曇村が、「安曇族」の本拠地であったのは、間違いないようです!!
日本の歴史から見ても、とても由緒と歴史のある地なのですね~!!
(Wikipediaの「阿曇氏」参照しました・・・)


日本の歴史の原点である邪馬台国や神話の時代に活躍し、日本の初期の
書物にもたくさん登場する「安曇族」!! その安曇族のその後の本拠地
であったこの旧安曇村、そして乗鞍高原なのです!! 「梓水神社」
そんな「安曇族」の名残りを、現在の人達に伝える貴重な場所なのです!
こんな由緒と歴史と伝説のある乗鞍高原のパワースポットへ、パワー
チャージしに来て下さい~。 そして「カフェ・スプリングバンク」への
ご来店お待ちしています~。 よろしくお願いします~~!!





by springbk2 | 2017-11-12 07:03 | 歴史探索 | Comments(0)