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安曇族を追って、「川会神社」の歴史探索ツアー・・。

「安曇」地域の歴史を探索して辿っていくと、必ずと言ってイイほど
邪馬台国以前の日本の歴史の始まりを創ったとされている「安曇族」の
話に行き着きます・・・。「安曇族」という種族の人々が中国から渡来し、
現在の九州の福岡市の志賀島神社を中心に栄え、倭国(日本)の土台を
創っていき、その後日本全国各地に移り住んできて、その最後はこの
長野県の「安曇」という地名が残るこの場所が、本拠地になったという
壮大な説なのです!!・・・。

「安曇族」の名前は、日本最古の歴史書物「古事記」や「日本書紀」にも
「安曇連は綿津見神の子孫」として書かれているのです。元々は船乗り
集団である「海人族」だった安曇族の信仰する神がこの海の神様である
「綿津見神」なのですが、安曇郡の中心は穂高神社で神様は「穂高見命」
と、違う神様なのです・・・。この疑問を探求していたら、北安曇郡の
池田町と言うところに、「綿津見神」を祀っている神社があるというの
です!!・・・。 なので、早速行ってみたのでした~。
(※注:穂高見命は、綿津見神の孫にあたる神様なので、繋がっている
のだと思うのですが・・・。)

「川会神社」ですっ!!・・・
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「川会神社」は、長野県北安曇郡池田町の「十日市場」という地の真ん中に
ポツンと建っている神社です・・・。僕たちはもっと豪奢な神社を想像して
いたのですが、かなり寂れていてひっそりとした感じになっていました・・・。
そしてこの石造りの鳥居に入る前にロープが張ってあり、「木が倒れる
恐れがあるので危険ですから立ち入らないで下さい」となっていました。

何だか、「安曇族」の痕跡のある由緒正しい神社なのに、朽ち果てそうな
雰囲気だったので、とても寂しくなりました・・・。


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鳥居の奥には、スグにとても小さな拝殿があります・・・。この拝殿も
誰も来ないので廃墟になりそうな雰囲気でした。安曇族のもう一つ
の豪奢な神社「穂高神社」とは両極端な感じでした・・・。


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そして、拝殿の横には、「川会神社」の由緒が書かれていました!・・・。
そして!、そこに「底津綿津見命」の名前がありました~!!これが
僕達の探していた、長野県内での「綿津見神」の証です~~。

長野県内の神社の殆どの所の祭神が「建御名方神(たけみなかたのかみ)」
という神様になっています。これは諏訪大社側の神様で、神話の中では
出雲の国が出来てから、神様同士のケンカに負けて追いやられ、諏訪に
降り立ち、信濃の国を創った!」とされている神様なのです。 なので、
それ以前からある(かも知れない)神社も(たぶん)上書きされているよう
な気がするのです・・・。しかしこの「川会神社」では、未だ安曇族の主神
「綿津見神」が祀られているのでした~!!

しかし、ここで謎があるらしいです・・・。「綿津見神」は三つの神が一つ
なのですが、この「川会神社」に祀られているのは「底津綿津見命」1神
だけで、他の「中津綿津見神」や「表津綿津見神」は祭られていません・・・。
この系列の神社は大体3つの神が1つの事例が多く、特に「綿津見神」は
全ての神の大元である「イザナギ」神から生まれた時に、上記の3つの
神が生まれたので、3つ一緒であることが多いのです・・・。中津と表津
綿津見神はどこへ行ったのでしょうか??・・・。

この疑問は、また後々追及して行きたいと思います・・・・。


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拝殿の左奥には、祠がたくさん並んでいるところがありました!・・・。
それぞれの「祠」の名前を見ると、諏訪神社!や、戸隠大社、穂高神社
の名前もありました!!・・・。これは何を意味するのでしょうか?!
この祠に参拝すればどの神社にも参拝したことになるのでしょうか?
そして、なぜ?この小さな「川会神社」に他の大きな神社の分社のような
「祠」があるのでしょうか??・・・。元々はこの「川会神社」の方がチカラ
が強かったのでしょうか??・・・。 謎が謎を呼ぶ感じです!!・・・。


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そして、この「川会神社」は、「泉小太郎ゆかりの里」らしいです~~!!
「泉小太郎」伝説とは、龍神伝説の話なのです!!

「昔むかしの事・・・海も山もまだ固まっていない頃、この松本平~安曇平の
土地は大きな湖だったのでした。この「泉小太郎」は、この有明の龍神「犀龍」
が母親、高梨の白竜王が父親の、人間の子供でした。そして鉢伏山の放光寺
でスクスクと健康に育っていきました。青年になってから「泉小太郎」は母親
である「犀龍」と再会したときに話をします。
「私は諏訪大明神の化身です。氏子の繁栄を願っています。お前は私の背中に
乗りなさい。そして、この湖水を割って水を枯らして陸地にしなさい。そう
すれば人々は栄えるでしょう。」
「泉小太郎」は母親の「犀龍」の言うとおり、龍の背中に乗って松本平の満々と
湛える水を押し退けて、その勢いに乗り下流の千曲川を越後まで切り開いて
行きました。その後、湖の水が引いて、この松本平~安曇平の平原が出来た
ようです。その「犀龍」のお陰なので、落合までを「犀川」と呼ぶようになった
ようです・・・。
その後、母龍は父龍と一緒に「榊の横穴」に隠れました。「泉小太郎」は、この
有明の地に住むと、皆が栄えていきました。」

という龍神伝説のお話なのです~~。 
諏訪の神様が龍神なので「龍神伝説」が長野県松本市周辺にはたくさんあります。
この「泉小太郎」伝説も、この安曇郡では有名なお話なのです・・・。



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日本の歴史の創世記を創り、日本中にその痕跡や実際の地名、伝説や逸話
などを残してきた「安曇族」ですが、この後の平安時代の後期から「安曇族」
の名前は歴史の上から忽然と姿を消してしまうのです!!・・・。

この平安時代後期の後、「安曇族」はどこへ行ってしまったのか?!・・・。

元々「安曇村」だった僕たちの住む乗鞍高原の歴史を辿れば、必ず「安曇族」
に辿り着いてしまいます・・・。この乗鞍高原に住んでいた(かも知れない)
「安曇族」!、僕達「歴史探索ツアー」はここからさらに「安曇族」の痕跡
を追って行きたいと思います~!! 日本の歴史の「謎」が大好きな皆さん
これからも、「歴史探索ツアー」をよろしくお願いします~~。
探索は続くっ!!・・・。


そんな「安曇族」の話をしに「カフェ・スプリングバンク」へご来店下さい~。
よろしくお願いします~~。ご来店お待ちしています~~!!






by springbk2 | 2018-03-19 07:21 | 歴史探索 | Comments(0)