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安曇族を追って、「有明山神社」の歴史探索ツアー~。

「歴史探索ツアー」とは、地図に載ってはいるが山の奥深くで、
道はすでに廃道となって、入る人もいなくなって、ターゲットが
存在するのかどうかも分からない・・・。そんな乗鞍高原周辺の
気になる「歴史の史跡」を探索しようというものです・・・・。


先日、安曇族の祀神である「綿津見神」を追って、北安曇郡池田町にある
「川会神社」へ行ってみたのです・・・。もちろん「川会神社」では安曇族の神
である「綿津見神」が祀ってあったのですが、それ以外にも新たな謎が謎
を呼ぶのでした・・・。(前回の「川会神社」の記事はコチラからどうぞ~)

綿津見神」は、「表津綿津見神」「中津綿津見神」「底津綿津見神」の3つの
神さまが1セットなのですが、なぜ?「川会神社」では「底津綿津見神」の
1神しか祀られていないのか?という疑問と、「なぜ?安曇族の痕跡は
地名以外では、あまり見当たらないのか?」と言う疑問があり、そして
そこから繋がって「なぜ安曇族は滅びたのか?」という、これまた最大の
核心のような疑問があったのでした!!・・・。

そして、その日はそのまま終わらず、それらの疑問に対する推論がある
もう1箇所の神社へと向かっていったのでした~~。

「有明山神社」ですっ!!
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「有明山神社」は、燕岳登山口へ上がる道の山麓にある神社で、信濃富士
と言われる「有明山」を御神体とする、山岳信仰のある神社です。有明山
山頂に奥社があり、毎年7月には山岳信仰のお祭り「奥社祭り」があります。
現在の有明山神社は、明治時代に移転されてこの地に建っているのですが、
最初は少し下の場所にあったらしいです・・・。

駐車場からは、この石造りの大きな鳥居をくぐって入って行きます・・・。

「川会神社」の時の疑問その①、
「綿津見神」は、「表津綿津見神」「中津綿津見神」「底津綿津見神」の3つの
神さまが「本宮」「中宮」「奥宮」という形で1セットなのですが、なぜ?
「川会神社」では、「底津綿津見神」の1神しか祀られていないのか??
という疑問に対しての推論が、ここ「有明山」の山岳信仰にあるのです!

元々この中房川の扇状地に広がる有明の地は安曇族の拠点だったところ
らしく、そこに古代に移り住み着いた「安曇族」が「川会神社」を建てたと
されています。そして安曇族の元々の「志賀海神社」や「宗像神社」と同じ
ように、安曇族がこの地でも「3社」のスタイルの神社を造ったとすれば、
「川会神社」が本宮で、この「有明山神社」が中宮で、そしてもう一つの
「奥社」が「有明山山頂」ではないか?という事なのです!!・・・。なので
「表津綿津見神」と「中津綿津見神」は、この「有明山神社」と「有明山山頂」
にあったのではないか?というのです~。なので、前回の「川会神社」と、
この「有明山神社」は元々は繋がっていたのかも知れない?!という推論
なのです・・・。


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石造りの鳥居をくぐっていくと、スグに大きな門がありました~!!
これは「裕明門(ゆうめいもん)」という門で、あの!「日光東照宮」の
「陽明門」を模して明治34年に造られたと言われています。門の彫刻は
1本の木から掘り出す「立川流宮大工」という方式で、松本市の宮大工
「清水虎吉」さんという方の作らしいです! 周囲には十二支の彫刻が
あり、内部には格天井絵で龍の絵が描かれています!!

この「裕明門(ゆうめいもん)」は、明治時代に移転した時に造られた
門のようですね・・・。

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そして、内部の格天井絵の「龍の絵」が、メッチャスゴかったです!!
これが全部1本の木から掘り出されているというのが、信じられない
ぐらいに美しかったです~~。


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「裕明門」をくぐって参道を少し進むと、この拝殿が建っています!!
この「有明山神社」の祭神は「手力雄命」、「八意思兼命」、「大日貴命」など
他数柱が祀られています。これは明治時代に移転されて建替えられた
時に新たに「有明山神社」としたので、祭神も変わってしまったらしい
のです・・・。

昔むかしの、安曇族が移り住んできてこの地で繁栄していた頃・・・、
日本の中心は、九州の福岡(邪馬台国かも知れない)から→「倭国」=
「大和朝廷」になっていきました(場所は現在の「大阪」)。倭国では、
安曇宿禰という人が天皇の食事を作る「内膳司奉膳」という長官を
していたらしいです!! しかしその後、いろいろ権力争いがあり
安曇族は朝廷からだんだんと追いやられていったらしいです・・・。
そして、安曇族の本拠地であるこの長野県安曇郡でも「仁科氏」との
争いがあり、坂上田村麻呂の討伐も利用されて、「安曇族」は滅んで
いったのではないか?!という推論もあるのです・・・。

境内の「神楽殿」には、橋本雅邦さんという方の「花鳥風月」の絵が
あるらしいです・・・。


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僕たちは、もちろん「有明山神社」でお参りをしました・・・。
そして珍しく、おみくじを引いてみたのでした~・・・。

疑問その②、「安曇族はどこから来て?、どこへ消えたか??」

「安曇族はどこから来たのか??・・・」
これは、いろんな説があるのですが、その中で今回は「有明山神社」に
ちなんだ、権力争いに負けて「磐井の乱」で負けて敗走してきたという
説をご紹介します・・・。

古代「安曇族」の拠点は現在の福岡市糖糟郡にある「志賀海神社」であった
事は間違いありません。船に乗っていた海人族である「安曇族」がなぜ?
こんな山奥の現在の長野県安曇郡に来たのか?・・・。それにはいろんな 
人の推論がありますが、その中に「磐井の乱」で敗れたので逃げてきたと
言う説があります。
時は継体天皇の21年(527年)・・・。毛野臣が6万の軍を率いて朝鮮半島へ
攻め込む時に、当時の筑紫の国造(くにのみやつこ)「磐井」氏が、朝廷に
反逆してこれを妨害しました! 「安曇族」は同郷の磐井氏に仕えていた
ので磐井氏と一緒に朝廷からやられてしまいます!・・・。その「磐井の乱」
の争いの事は「日本書紀」の中に、「筑紫君葛子、父のつみによりて誅せら
れむことを恐りて、糟屋の屯倉を献りて、死罪贖はむことを求す」と、
書かれているのです。その葛子=王子と一緒に九州を離れて遠く長野県
安曇軍まで逃げてきたというのです!・・・。「葛子」は「八女」の出身らしく
これは現在も同じ八女市の辺りのようです・・・。


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スプリングバンクN の引いたおみくじは・・・、「大吉」でした!!
しかし、「女性は金難あり」らしいですぅ・・・。大吉なのに金難て、
何なんだろ?!・・・。


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そして!、「有明山神社」の、さらに奥に、今回の「安曇族・消滅伝説」の
疑問の核心があるのですっ!!
「魏石鬼岩窟」です!!
「有明山神社」の右奥にもう一つお堂があり、そのさらに右側から1本の
登山道のような道が、奥へ奥へと続いていきます・・・。その登山道には
たくさんの石仏が並んでいます!・・・。これが「魏石鬼岩窟」へと通じる
道なのです~~!!


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お堂から歩くこと10分ほどで、もう一つ小さなお堂が表れてきます!
ここの下が、「魏石鬼岩窟」になっているのです~!!

そして、「安曇族は、どこへ消えたか??」という疑問ですが・・・、

この「有明山神社」周辺には、「八面大王」の伝説があります。昔むかしに
この有明山には「八面大王」という魏石鬼がいて、地域の人に乱暴をして
いました・・・。そこへ、大和朝廷の大将軍で有名な「坂上田村麻呂」が来て
成敗したという話です。
その逸話から実話を引き出そうとしてみると、八面は→「ヤメ」と読めます。
そして安曇族が一緒にこの地へ逃げてきたのは、「葛子」と言う福岡県八女
=「ヤメ」出身の王子なのかも?という事です。なので、もしかしたらこの
「八面大王」というのは、安曇族と一緒にこの長野県安曇郡まで逃げてきた
「八女の王子」ではなかったか?!という説があるのです~!! そして、
平安中期、安曇族は仁科氏との権力争いがあったようです。その仁科氏
が、当時未開拓の地であった「蝦夷(エミシ)」の地で現在の新潟県の地方
へと征伐に出向いてきた「坂上田村麻呂」に、安曇族の征伐をお願いして
一緒に戦ったようです・・・。そしてその戦いが「八面大王」の伝説となって
現在まで残っているのかも?という説なのです・・・。なので、この仁科氏
との戦いで安曇族が滅んだか?、名前を変えて有明の地から逃げたか?、
という説もあるらしいのです!!・・・。

なので今回僕たちは、この「有明山神社」の「八面大王伝説」の説を辿って、
安曇族の地と失われた伝説を探しに、この「魏石鬼岩窟」まで来て見たの
でした~・・・。


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これが「魏石鬼岩窟(ぎしきのいわや)」です~!!!
上記の伝説の「八面大王」が立て篭もったと言われている岩窟です!!
考古学の方では、この地域に少しだけ残る「円墳」(横穴式石室)らしく、
全国的にも珍しい石室の古墳らしいです。盗掘されていたようですが、
中のほうにかろうじて馬具や装飾品が出土したらしいです・・・。

なので、これはもしかしたら八女の王子「葛子」のお墓なのでしょうか?
それとも、この「魏石鬼岩窟」は古墳なので、「安曇族」の族長か誰かの
お墓なのでしょうか??・・・。そうすると、「安曇族」の滅んだ場所が、
この「有明山神社」周辺になると言うことなのでしょうか?!・・・。
古代ロマンの謎が、僕の身体を貫いて一瞬で去っていくのでした~・・・。


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いろんな説がありますが、九州の志賀海神社からこの長野県安曇郡へ
辿り着き、その後も大和朝廷との権力争いもいろいろあって、最後は
この「有明山神社」周辺で仁科氏と坂上田村麻呂に滅ぼされたかも?!
と言う説があり、今回はこの「有明山神社」へ現地調査に行ってみたの
でした~~。


日本の初期を創ったと言われている「安曇族」ゆかりの地である長野県の
「安曇地」・・・。そんな古代歴史ロマンを感じに乗鞍高原へ来て下さい~。
「カフェ・スプリングバンク」へのご来店もお待ちしています~~!!
よろしくお願いします。旧安曇村の乗鞍高原へ来たらお立ち寄り下さい。




by springbk2 | 2018-03-28 07:29 | 歴史探索 | Comments(0)