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安曇族の歴史探索ツアー!(志賀海神社篇②)

志賀島には、「志賀海神社」以外にもいろんなスポットがあるのです~。
なので、せっかくここまで来たのだから、できるだけ回ってみよう!
という事で、案内図の赤いラインを辿って「志賀島」を歩いて一周して
みようというコトになりました~~。


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「志賀海神社」は、地図中の左側、赤い「現在地」の上にあります・・・。
そして下部分の真ん中ちょっと右には、「金印公園」があるのです。
これは、あの有名な!「漢委奴国王」という金印が見つかった場所
です。そして左側には、志賀海神社の最初にあったとされる場所
である「仲津宮」と「沖津宮」があるのです!! 志賀島の真ん中は
小高い山になっていて、眺めの良い「潮見公園」があるようです~。

それでは、レッツ・ゴー~~。


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この日は雨の予報だったのですが、パラっとのみで全く雨は降らず・・。
なので志賀海神社から地図の下側から時計回りに歩いて行きました~。
でも、爆風なぐらいメチャ強い風が吹いていて、道路を歩くだけでも
かなり苦労しました・・・。


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15分程海岸沿いの外周道路を歩くと、「金印公園」に到着しました。
そこには大きな石碑があります! ここが金印が見つかった場所
らしいです~!!

あの!、日本で最初の国である「倭国」に与えられた「漢委奴国王」と
掘られた、純金の金印ですっ!!


安曇族の歴史探索ツアー!(志賀海神社篇②)_a0353718_10164318.jpg
石碑から上に階段を4段ほど登ると、最上段には金印もモチーフと
石碑、そして金印のモデルがありました!!


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「漢委奴国王」の金印は、僅か2.3cm四方の小さな純金の印です。
この「漢委奴国王」の金印は、中国の歴史書である「二十四史」の中
のひとつである「後漢書」の東夷伝の中に倭国(現在の日本)の記述
があり、その中で「建武元二年(57年)に倭奴国が朝貢して、その
時に光武帝が金印を与えた」と書かれている金印だとされている
モノです。これが歴史書の中で最初に日本について書かれている
一文らしいです!・・・。

出土したのはこの志賀島のこの場所で、見つかったのは江戸時代
の天明4年(1784年)に、水田耕作中に甚兵衛という百姓が見つけた
という説があるようです・・・。志賀島の学術調査もされて、金印は
この場所で発見されたという説が濃厚とされているのです・・・。
(これには諸説あって、偽造説もあるのですが・・・)

上記の中国の「後漢書」に書かれた倭国への金印が、当時安曇族が
居たこの「志賀島」で見つかったという事実は、一応スジが通って
いるように思えます・・・。安曇族を追う歴史家の方の推定によると、
倭国とは、邪馬台国以前の日本にあった国で、安曇族が支配して
いた国だというコトです・・・。だからこの金印も安曇族との繋がり
があるかも?という話になるらしいのです!!・・・。


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そして僕たちは、志賀島の最西端にある小さな小さな島へと向かって
行ったのでした~。

志賀島休暇村を過ぎて海岸沿いを目指して歩いて行くと、このような
小さな島(出っ張り?)が見えてきます。この島が「沖津宮」なのです!

「志賀海神社、沖津宮」は、「底津綿津見神」が祀られている場所です!
日本最古の書である「古事記」には、「イザナギ神が黄泉の国から帰って
きて穢れを落とすために筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊を行う
と、様々な神様が生まれた。」と書かれています。その生まれた神様
の中に、この「綿津見三神」がいるのです。その後、天照大神たちも
生まれてきて、合計26もの神様がこの瞬間に生まれ出ているのです。

問題はその、イザナギが禊を行った「筑紫の日向の小戸の阿波岐原」
は何処なのか?!という事です!・・。筑紫と日向は、現在も福岡県
に今も残っている地名です! そして「小戸」という地はこの写真を
撮った御手洗海岸に由来があるらしいのです。そして「阿波岐原」は、
淡水と海水が交じり合う場所という意味だそうで、この場所に川が
あるので、要件は満たしているという事らしいのです!! なので
この「沖津宮」は、もしかしたら、イザナギ神が様々な神様が生んだ
神話の場所だという説があるのですっ!!・・・。


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干潮の時には砂州を渡って「沖津宮」へ行けるのですが、僕たちが行った
時は雨が降っていて海も荒れていたので、渡ることができませんでした。
御手洗の海岸から望遠で沖津宮の鳥居は撮影しましが、鳥居から石階段
があって、あの島の頂上には石造りの祠があるらしく、非常に残念でした・・・。


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「沖津宮」に行く手前には「仲津宮」があります。ココには「仲津綿津見神」
が祀られています。そして、ここは古墳になっているらしいのです・・・。
古墳の上に神社が建っているのは非常に珍しいと思います。


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「沖津宮」で僕たちは一瞬ですが激しい雨に降られてしまいました・・・。
なので、沖津宮のある勝馬からは、少しでも森林があって風を遮れる
ように、志賀島の真ん中を通る山登りの道を歩いて帰っていきました。
雨に降られながら歩いて登って行くと、上部には「潮見公園」の展望台
がありました。そこからは360°の絶景が見えました~。この志賀島と
九州を結ぶ細い砂州も見えました~。

この絶景の海景色を見ながら、僕たちは2000年も前の時代へと
想いを巡らせていました~・・・。

中国から渡来してきたという説がある「安曇族」が辿り着いた場所が
現在の福岡市で、その福岡市の沖合いの先端に浮かぶこの志賀島の
そのまた先にある「沖津宮」・・・。そこに、信仰の場所を置いたかも
知しれないという説と、「古事記」の神話の話が重なる地形や地名・・・。
そして、「沖津宮」はイザナギ神が禊をした場所かも知れないという
推論!!・・・。その他にも、中国の後漢書にある「漢委奴国王」金印
の出土や、日本の国歌「君が代」の「君」とは、安曇族のことだった!
と言う事などなど・・・、状況証拠はどんどん重なってきて繋がりが
繋がりを呼んでいきます・・・。 本当にこの「神話と安曇族」の話は、
どこまでも繋がっていくのでした~。



安曇族の歴史探索ツアー!(志賀海神社篇②)_a0353718_10180161.jpg
そして!、帰りの空の雲には、何と!二重の輪になった不思議な
「虹」が見えました~!! これは、ブロッケン現象でしょうか?!
それとも、僕たちが歴史探索ツアーに来たから、安曇族に関わる
神様たちが、僕たちに何かを訴えかけているのでしょうか?!・・・。
この丸い虹を見ながら、何だかとっても不思議な気分で、長野県
の「安曇郡(安曇村)」へと帰っていったのでした~~・・・。


今回、核心であり本拠地の「志賀海神社」へ行ってしまったので、
ひとまず「安曇族」の歴史探索ツアーは一区切りとします!・・・。
また、新たな謎や証拠などが見つかれば、書きたいと思います。
歴史ロマンの好きな皆さん、またよろしくお願いします~~。
安曇の地、乗鞍高原の「カフェ・スプリングバンク」へのご来店
お待ちしています~!! 



by springbk2 | 2018-12-18 07:15 | 歴史探索 | Comments(0)