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飛騨乗鞍信仰の歴史探索ツアー!!

2020年、1発目のブログは、年末に行った「歴史探索ツアー」です!
今回の「歴史探索ツアー」も、前回と同様に岐阜県側の「飛騨乗鞍信仰」
の探索で、年末に行ったもう一つの重要な神社です~~。
(神都飛騨の事は、コチラから前回のブログをご覧下さい~!)

歴史探索ツアー」とは、地図には載っているが山の奥深くにあり、
道はすでに廃道になっていたりして、入る人も居なくなっていたり、
ターゲットが存在するのかどうかも分らない・・・、乗鞍周辺のそんな
木になる「歴史の史跡」を探索&追求しようというモノです~・・・。

今回のターゲットは、その「飛騨乗鞍信仰」の儀式を色濃く残して
いる、「伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)」です~!!
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今回も探索するのは、「飛騨乗鞍信仰」という、昔むか~しの乗鞍岳を
神々の霊山として信仰していた伝説です・・・。「飛騨乗鞍信仰」の事を
おさらいしておくと・・・・・、、、

「日本が最初に海から浮かび上がって出来たのは、ここ乗鞍岳だった。
この乗鞍岳が最初に海から浮かんできて、その後日本列島が出来た!
神々が最初に乗鞍を創り、最初に地上に降り立った場所も乗鞍岳で
ある! なので、神話の「天孫降臨」の高天原も、乗鞍岳の山頂だった。
古代の日本は、現在の岐阜県高山市に神の都が出来て、日本の歴史
はここから始まった。だから昔から乗鞍岳は、太陽の神「天照大神」
のいる場所として崇めていて、修験者たちが霊山とし、山岳信仰で
修行のために乗鞍岳に登る事が「飛騨乗鞍信仰」として行われていた。

と言う話です!!・・・・。

そして、現在の高山市周辺には数多くの神社や古墳群、岩石遺跡など
があり、古代から人が住んでいた形跡があるらしいです。そして古代
の時代、乗鞍岳は西側の飛騨側から見ると太陽が上がってくる山だと
言うコトで、乗鞍岳を中心とした「太陽神信仰」があったらしいのです
が、その中でも山岳信仰として一番重要だった儀式が、乗鞍岳23つの
峰のひとつである大丹生岳や四ッ岳山頂付近にある「大丹生池」へ上り、
修験者の皆で大丹生池を囲んで念仏を唱え、神々を崇め奉ていたという
「日抱きの御魂鎮(ひだきのみたましずめ)」と言う儀式だったようです!
そして、この儀式の「日抱き」という名前がなまって、現在の「飛騨」と
言う地名になったらしいのです!!

僕たちはこの話を、乗鞍ローカルのNo君から聞いたのでした!!・・・。
なので、2019年の年末にNo君夫婦と一緒に「日抱きの御魂鎮」の儀式
が色濃く残る「旗鉾、伊太祁曽神社」へと行ってみたのでした~~。


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「伊太祁曽神社」は、前々回の「乗鞍神社」のある旗鉾地区の少し下側に
ありました・・・。上記の画像の石碑の右側から、この苔生した石灯篭
の階段を下ると右側にあります・・・。

乗鞍で生まれ育ったNo君は、この「伊太祁曽神社」でお正月に行われる
「くだかい神事」という儀式に呼ばれて行ったことがあるのです!!・・。
この「くだかい神事」というのは、お正月に雑穀を入れたお粥を炊いて
その年の吉凶を占う儀式です。そして、現在は行われていませんが、
昔むか~しの「くだかい神事」では、大麻がお粥の中に入れられていて、
みんなトランス状態になりながら乗鞍岳の神々を崇め奉ったお祭り
だったらしいです!!・・・。僕達はNo君にその話を聞くまで、そんな
山岳信仰が乗鞍岳の飛騨側にあるなんて、知らなかったのでした・・・。
これは、ぜひとも!探索しておかないと・・・。



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下りたトコロには、新しく立て替えられた綺麗な石の鳥居と灯篭が
ありました!! これが、「旗鉾、伊太祁曽神社」です!!

この飛騨地域、高山市から平湯へと上る国道158号線の道沿いには
「伊太祁曽神社」という同じ名前の神社がいくつもあるらしいです・・・。
噂によると、この地域には13もの「伊太祁曽神社」があるというコト
です。僕たちは乗鞍神社と同じ旗鉾地区の、画像の「伊太祁曽神社」
へと行ってみたのでした~~。


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2回拍手と2回礼の後、鳥居をくぐって進んでいくと、新しい狛犬と
奥に古い拝殿がありました・・・。鳥居や狛犬などは新しくなっていた
ので、この旗鉾地区の「伊太祁曽神社」は、まだ誰かがちゃんと手入れ
をしたり、修繕したりされているのだと、ちょっと安心しました・・・。

「伊太祁曽神社」は(いたきそ)と読みます。これは乗鞍山岳信仰の一番
重要な儀式である「日抱き御魂鎮」がある山である乗鞍岳を「日抱き尊」
(ひだきそん)と言う名前で呼んでいたトコロから訛って(いたきそ)と
言う名前になり、乗鞍岳を信仰する修験者の拠点の神社というコトで
「伊太祁曽神社」という名前になっているらしいです!・・・が、しかし、
「伊太祁曽神社」と言う名前の神社は、日本全国にたくさんあるらしく、
名前の由来は諸説あるようです・・・。果たして、この飛騨乗鞍にある
「伊太祁曽神社」と、全国各地にある「伊太祁曽神社」は、同じ由来の、
同じ系列の神社なのでしょうか?!・・・・。


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奥の拝殿も、しゃんと修復などがなされていました。この拝殿は
小さいながらもシャンとしていましたね・・・。千木は縦切りでした。

「伊太祁曽神社」というのは、日本全国にたくさんあるらしく、有名
なのは和歌山県にある「伊太祁曽神社」です。これはとても面白いの
ですが、この和歌山県の「伊太祁曽神社」は主祭神が「五十猛命」で!、
「五十猛命(いたけるのみこと)」は、「須佐之男命(すさのおのみこと)」
から生まれた神様で、古事記や日本書紀の中で和歌山県の「紀ノ国」
を創ったとされる神様です。そして大和時代に「紀ノ国」を支配して
いた日本書紀の中に出てくる「武内宿禰」は、ずっとルーツを辿れば
「五十猛命」に繋がるらしく、簡単に言うと、何と!「安曇族」の末裔
になるらしいのです!!・・・。そして、「武内宿禰」も紀伊半島一帯を
地盤としていた海人族なのです!!・・・。
岐阜県側には「安曇族」の伝説は無いのですが、同じ乗鞍岳を挟んで
長野県側は「安曇の地」です!! そして、飛騨側には「安曇族」との
繋がりが見つかった「伊太祁曽神社」と言う名前の神社が、たくさん
残っているのです!!・・・。 この繋がりは、どう捉えれば良いので
しょうか?!・・・・。
謎が謎を呼びますね!!・・・


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拝殿の前には、こんな石仏(犬)がありました・・・。これは何??
こまいぬ??・・・・。狛犬にしては、何だかフザけているような
形をしています・・・・。とってもカワイくて、ひょうきんですww


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そして、拝殿の看板も、五円玉を集めて作られて「太神宮」と書かれて
いました・・・。本当ならここは、習字で豪快に書かれた豪華な看板だと
思うのですが・・・・、何なんでしょう??・・・。コレも何だか、フザけて
いるように思えるのですが・・・、、、。


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そして、ターゲットの本命である本殿は、拝殿の裏にありました・・・。
拝殿を左から回って奥に行く道があり、それを辿って裏手へ回ると、
アルミの階段と、その上に苔生した石造りの階段があり、そのさらに
上側に、本殿がありました~~。

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コチラが本殿です。とても小さくて、「祠」ぐらいのサイズです・・・。
「山内定頭」さんという棟梁によって文化10年(1813年)に造られて
います。中には「円空」というお坊さん(?)が造ったとされている
神像がある!?・・・と書かれていました。有形文化財に指定されて
いるようです~~。

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本殿の彫刻は、「流れ造り」という彫刻らしく、コチラも高山市の有形
文化財に指定されています・・・。これは「龍」の彫刻なのでしょうか?!

長野県側の乗鞍岳~乗鞍高原から~松本平には、水を供給する梓川が
あるので、水の神様を祀った神社が多くあるのです。乗鞍高原にある
「梓水神社」もその一つで、だから乗鞍高原には龍神伝説があるのです!
でも岐阜県側の祭神は、太陽神である「天照大神」を主祭神としている
神社ばかりなのです・・・。この辺りは、長野県側と岐阜県側は違います
ね・・・・。やはり天候や気候、自然環境が東と西で違ったというコトで
しょうかね?!・・・・。神様のルーツを遡っていくのも、今回のように、
あっ!と驚く繋がりが見つかったりして、とても面白いのです~。


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最後は、神社の前にある「大欅」の木です~。天然記念物に指定されて
いるようです・・・。

今回の「歴史探索ツアー」・・・、「伊太祁曽神社」の謎に迫ろうとしたら、
逆に!謎が謎を呼んで、謎はさらに深まってしまったのでした~・・・。
それは、
①岐阜県飛騨の「伊太祁曽神社」は、和歌山の「伊太祁曽神社」と同じ
 系列の神社なのか?? もし違うなら、なぜ同じ名前なのか??
②和歌山県の「伊太祁曽神社」は、「武内宿禰」の末裔で紀州を創った
 とされる豪族「紀ノ氏」が、樹木の神様である「五十猛命」を祀った
 とされている。「武内宿禰」は海人族である「安曇族」の末裔なので、
 「伊太祁曽神社」と「安曇族」は繋がっていたのか??
③乗鞍岳の西の岐阜県飛騨側には「安曇族」の形跡は無かったのだが、
 同じ乗鞍岳の東の長野県側の乗鞍高原~安曇野は、「安曇の地」で
 ある。繋がりは無いのか??・・・。

などなど、考えれば考えるほど、謎は深まるばかりです・・・。
このテの謎は、発掘などの証拠が出ないと明らかにはなりません
が、考えれば考えるほど、面白いのです・・・。日本を国として最初
に創ったのが「安曇族」なら、もしかしたら日本の神話や伝説、歴史
などは、どれを辿っても、遡っても、結局「安曇族」に行き着くの
かも知れません!?・・・。

また岐阜県側の「飛騨乗鞍信仰」の歴史探索は、もう少し続くのです。
また暖かくなってきて雪が融けたら見に行ってみたいと思います~。
みなさん、よろしくお願いします~。また、乗鞍高原周辺の歴史の
謎や伝説の話を聞きに「カフェ・スプリングバンク」へ来て下さい~。
ご来店お待ちしています~!!



by springbk2 | 2020-01-02 07:14 | 歴史探索 | Comments(0)