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有明山頂神社の歴史探索ツアー~・・・。

今回の「歴史探索ツアー」は、昨日のブログで登った有明山の山頂に
祀ってある「有明山山頂神社」です~!! 有明山は、安曇野平から
見ると「信濃富士」とも呼ばれているほど端正な台形の山容の山で、
日本の歴史の中で一番最初に「国」を創ったとされる「安曇族」との
関連が非常に濃く残っている山なのです・・・。そして、有明山神社
の奥宮が山頂に祀られているので、山全体が御神体となっている
らしいのです~。 なので今回は「有明山」に登って、山頂の神社が
どうなっているのか?を見に行ってきたのでした~・・・。

歴史探索ツアー」とは、地図には載っているが、山の奥深くにあり、
道はすでに廃道となっていたりして入る人もいなくなってしまって
いたり、ターゲットも存在するのかどうかも分からない・・・。そんな
乗鞍高原周辺の気になる「歴史の史跡」を探索しようと言うモノです~。

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まず、「有明山神社」の事は、コチラから以前のブログをご覧下さい・・・。
「有明山」は、天照大神が「天岩戸伝説」の中で冥界に閉じこもった際に、
「手力雄命」という神様が岩戸をどけて投げ飛ばしたその岩がこの地に
落ちて、それが山になって「有明山」になったという伝説があります!
そうするとこの神社や祠は、大昔には山全体が御神体だった山の上に
建てられている祠=神社というコトになるのです~!!


有明山の山頂には、このようなステンレス製の鳥居と、北峰から中社、
南社と、朽ち果てているモノも含めると4つもの祠が山頂に建てられて
いました・・・。

「有明山神社」は、安曇族の形態の神社からすると、3つの神社が一つと
なっています。海の神様である「綿津見神」が、表津、中津、底津という
3つの神様になっているように、神社も里宮、中宮、奥宮という形態に
なっているのです。そしてこの「有明山神社」も昔は、安曇野の真ん中に
ある「川会神社」が里宮、この「有明山神社」が中宮、そして有明山全体が
奥宮(御神体)となっていたようなのです・・・。(現在は場所が移転している
らしいです・・・。)


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コチラは、上記のステンレス製の鳥居の横にある、第一の「祠」です!
この北峰の祠は、朽ち果てそうになっていて、ちょっと可哀想な感じ
でした・・・。

「有明山神社」の祀神は、安曇族の頃の大昔は、安曇族の祀神「綿津見神」
だったようなのです。今でも「川会神社」の祀神が「綿津見神」だからです。
でも現在では「手力雄命」、「八意思兼命」、「大日貴命」という複数の神様
が祀神となっています・・・。これは、上記の天の岩戸伝説にちなんでいて、
歴史的に上書きされてしまっているという説が多いのです!・・・。

手力雄命」は、日本の神話の中の岩戸隠れの際に、天照大神が岩戸から
顔を覗かせた時に、天照大神を冥界から引きずり出した神です。長野県
だと、戸隠神社が有名です・・・。
大日貴命」は、神話の中の「因幡の白兎」の話で有名な、「大国主命」の別名
らしいです・・・。
そして!「八意思兼命」は、知恵や学問の神様として信仰されていて、日本
の神話の岩戸隠れの際には天照大神を引きずり出す知恵を授けた神様だと
言われています。この「八意思兼命」は長野県内だと、戸隠神社や阿智神社、
そして安曇族の本拠地と言われている「穂高神社」でも祀神となっているの
です! そして、「ヤゴコロオモイガネ」という名前の数字の「八」が、この
有明山神社の八面大王伝説の「八」にちなんでいるというのが、僕は何だか
繋がりがあるような気がします!


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コチラは、中峰の祠です・・・。この祠は、一番しっかりしていてキレイな
感じでした~。左横に鐘もついていて、登山に来た人は、みんなこの鐘を
鳴らしていらっしゃいました・・・。

この中社は、有明山の山頂神社群の中心的存在らしく、祀神も里宮である
「有明山神社」と同じ「手力雄命」、「八意思兼命」、「大日貴命」になっている
らしいです・・・。


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そして!、中峰の祠の右横には、3m四方、高さ30cm程の石垣が
残っていました!! コレは、たぶん!、昔の神社か祠、または
何か信仰の中心のような建物が、この石垣の上に建てられていた
のだと思います!! 一体何が建っていたのでしょうか?!・・・。
でも、その他は残念ながら、何か分かるものは何も残っていません
でした・・・。有明山山頂神社の中でも中社が中心的な部分になって
いて、そのスグ横にとてもしっかりとした石垣がある事実!!・・・。
この石垣が、僕達は非常に気になったのでした!・・・。


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「有明八面大神」という石碑も、中社の横にありました~!!これは
もちろん「魏石鬼八面大王」のことですね! 魏石鬼八面大王の事は
コチラから以前のブログをご覧下さい・・・。

「魏石鬼八面大王」とは、九州・福岡から安曇族と一緒にこの土地まで
逃げてきた八女の大王の事だという説があり、大和朝廷の頃に朝廷軍
がこの地を征服しに来た時に最後まで戦った安曇族の末裔という説も
数多くあるのです~!! そしてこの有明山麓周辺には、たくさんの
古墳もあり、多くの出土品も出てきていて、この辺り一帯が大昔の
安曇族の頃の居住地であることは間違いない!とまで言う学者の方も
いらっしゃるのです~~。

それにしても、誰が何で?こんなに大きな重い石碑をここまで運んだ
のでしょうか?・・・。タイヘンだったんだろぅなぁ~と思うのと同時に
本当に昔の人の山岳信仰はスゴいと思うのでした・・・。


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そして、コチラが一番奥にある南峰の祠です~!! これが最後の
祠で一番奥にあったのですが、この祠も比較的キレイに建っていま
した。3つとも中は見えません。周りを囲む石柵にも文字が彫って
ありましたが、ほとんど分からないぐらいになっていました・・・。

この南社の祭神は「天照大神」、「天細女命」、「金比羅大神」の三柱が
祀ってあるようですね・・・。中社との違いがあって、興味深いです。


今回の歴史探索ツアーで有明山に登って、山頂にある神社や祠などを
見てきましたが、目新しいモノは見つかりませんでした・・・。それでも
やはりこの有明山から~安曇野平一体には、川会神社から有明山神社、
そしてこの有明山の山頂神社と祠など、「安曇族」に繋がる史跡があり、
縄文時代からの古墳も多く残っていて、「魏石鬼八面大王」の伝説の跡
もそこら中にあって、「安曇族」との繋がりが感じられます。そして!、
そもそも「有明山」という名前が、九州北部の佐賀県から長崎県に同じ
名前の有明町があり、対馬にも全く同じ名前の「有明山」があると言う
事実!・・・。これは、九州北部を中心としていた海人族である「安曇族」
が長野県に来て、元々の九州にあるのと同じ名前を山に名づけた?と
いう推論が成り立つのですっ!!・・・。なのでこの「有明」という名前
自体が、安曇族との繋がりを感じられてとても面白いと思いました~。


日本で最初の国を創ったと言われている「安曇族」の伝説は、歴史ロマン
です。伝説や謎が繋がっていき、推論が生まれていくのは面白いですね。
そんな安曇族のゆかりの地である長野県の安曇郡や旧安曇村の乗鞍高原
へ遊びに来て下さい~。そして!安曇族の伝説や謎の探求に余念が無い
「カフェ・スプリングバンク」へのご来店お待ちしています~!!
よろしくお願いします~~。



by springbk2 | 2022-07-10 07:01 | 歴史探索 | Comments(0)