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波田神社・例祭の、歴史探索ツアー・・・。

歴史探索ツアー」とは、地図や昔の見聞録には載っているのだが、
山の奥深くで廃れてしまって入る人も居なくなり、ターゲットも
すでに存在しているのかどうかも分からない・・・、でも、そこには
歴史の「跡」が確かに残っている・・・、でもそんな、乗鞍高原周辺の
歴史の史跡を探索して考察していこう!というブログです~~。

今回の「歴史探索ツアー」は、偶然訪れてみたらお祭りをやっていた、
そして昔書きそびれてしまっていた、「波田神社」です~~。

波田神社・例祭の、歴史探索ツアー・・・。_a0353718_19433309.jpg
先週の某日・・・、買出しに松本市内へと下りたら、国道158号線の
波田周辺で、この画像のような細長い提灯が至る所で飾られていた
のでした・・・。どこかでお祭りがあるんなだ、そう思いながら車を
走らせていたのですが、この波田の辺りだと「波田神社」しかないの
ではないか?!と思って、ちょっと見に行ってみたら、ピッタリ!
波田神社でお祭りが行われていたのでした~・・・。

なので今回は、昔書きそびれてしまっていた「波田神社」の歴史探索
ツアーとなります~~。


波田神社・例祭の、歴史探索ツアー・・・。_a0353718_19433780.jpg
波田神社に着いたら、上記の画像の細長くて大きなたくさんの提灯に
飾られていて、左側には数件ですが出店もあって、お祭りの雰囲気が
していました! この辺りでもちゃんとお祭りが行われていることに
ちょっと感動でした!・・・。


波田神社」は、神社の説明文によると・・・、康治2年(1143年)に、その
当時の平安後期時代に勢力を日本全国に拡大していた源氏の中の一人
である「源盛国(みなもとのもりくに)」がこの筑摩郡という地域を支配
していて、紀州熊野の熊野権現二柱の神を勧請して合祀されたらしい
です・・・。熊野二柱の神からきた主神は「家津御子大神」と「事解男大神」
という神様です・・・。でも、この「家津御子大神」という神様は、あの!
「素盞雄命(すさのおのみこと)」の別名らしいです。そして、「熊野」は、
熊野信仰があり、「伊弉冉尊(いざなみのみこと)」が葬られたのが熊野
の有馬村とされていて、熊野が日本最古の修験者の山とされているの
らしいのです~。(この辺りの伝説は、諸説あります・・・ご了承下さい)


波田神社・例祭の、歴史探索ツアー・・・。_a0353718_19434190.jpg
拝殿の中も、たくさんの提灯で彩られていて、とても荘厳な雰囲気が
漂っていました・・・。僕達は、軽く「雨が止みますように・・・」とお願い
をしてきました~・・・。


でも、なぜ?当時の朝廷である大阪からほど遠いこんな長野県の山麓
地域に、熊野信仰から神様を引っ張ってきて合祀したのか?、そして
なぜ?この波田の山麓地域にこのような大きな神社があったのか?は、
疑問が残りますね・・・。

これは推論ではありますが、最初の最初は、たぶん「波田神社」はこの
波田神社以前にこの地にあった大きなお寺の「若澤寺」の一部分だった
のではないか?と言う説があるのです・・・。
(若澤寺の詳細は、コチラから以前のブログをご覧下さい)


波田神社・例祭の、歴史探索ツアー・・・。_a0353718_19434444.jpg
そして、当時この地を支配していた「源為国」の親族などが、後に木曽
義仲と手を組んで朝廷と戦ったりして、その後瀬戸内海の水軍として
名を馳せる「村上源氏」となっていくのです・・・。なのでその当時熊野
で流行っていた「熊野信仰」を、河内(大阪堺)を経て→熊野→信濃へと
そのまま信濃(長野県)まで持ってきたという事みたいですね・・・。

そして、「源盛国」が「畠(はた)判代官」と名乗っていたから、この地が
「畠(はた)」となり、→「波多」→「波田」になったらしいのです~!!


今回は「安曇族」との関連性は全くありませんでしたが、それでも僕は、
そんな深くて荘厳な波田の歴史を感じながら、この波田神社の例祭の
美しい提灯に彩られた雰囲気を、静かに感じて楽しんだのでした~~。
そして波田の元々が源氏だったというのも、とても面白かったです~。


乗鞍高原へ遊びに来たら、歴史を追求する「カフェ・スプリングバンク」
へお立ち寄り下さい~。よろしくお願いします~~。



by springbk2 | 2022-09-26 07:02 | 歴史探索 | Comments(0)