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「耳塚」の、歴史探索ツアー~・・・。

以前の「歴史探索ツアー」ブログで、「八面大王」の事を書きました。
昔むか~し、この「安曇」の地には「八面大王」という魏石鬼がいて、
朝廷の将軍「坂上田村麻呂」と戦って破れてしまいました。 その
八面大王はあまりに強かったので、蘇らないように遺体を5つの
パーツに分けて葬り去られました・・・、という逸話なのでした・・・。
殺された八面大王の5つの遺体のうち、一番大きな胴体は現在の
大王わさび農園」の裏に、頭は松本市内にある「築摩神社」の横に
ある飯塚に「塚」を築いて埋められました・・・。そこまでは僕達も、
これまでの「歴史探索ツアー」で調査が完了していたのです~・・・。
しかし今回僕達はとある闇のサイトから、耳が埋められた「耳塚」
が残っているのだ!という有力な情報をキャッチしたのです~! 
コレは行ってみるしかないでしょうっ!というコトで、ちょっと
見に行ってみたのでした~~。

「歴史探索ツアー」とは、地図や昔の見聞には載っているのだが、
山の奥深くで廃れてしまって入る人も居なくて、ターゲットも
すでに存在しているのかどうかも分からない・・・でも、そこには
歴史の「跡」が確かに残っている!・・・、そんな、乗鞍高原の歴史
にまつわる「歴史の史跡」を探索して考察していこう!、という
ブログです~~。

今回の「歴史探索ツアー」は、安曇族の末裔かも知しれない?と
言われている、「魏石鬼八面大王」の「耳塚」です~!!
「耳塚」の、歴史探索ツアー~・・・。_a0353718_13494971.jpg
乗鞍高原から松本平へと下り、安曇族の中心地である穂高神社へと
向かいます・・・。そして穂高神社を過ぎて、田畑の広がる真ん中を
車で走っていくと、田んぼの真ん中にポツンと大木と一緒に「社」が
ありました~。これが「耳塚」らしいです~!!

おさらいしておくと・・・・、、、
昔むかし、桓武天皇の時代(781~806年)の頃、この安曇野の地域は
「魏石鬼八面大王」という優れた怪力無双の領主がいました。でも朝廷
は日本全国統一を目指していて、現在の大阪からこの信濃へと攻めて
きていたのです!・・・。朝廷軍はあの「坂上田村麻呂」率いる軍団です!
安曇野地域ではたくさんの年貢や貢物を要求されていたりして、朝廷
からはかなり苦しめられていたので、女人や子供まで巻き込んで国を
上げての反戦になってしまいました!! そして「魏石鬼八面大王」は
有明山の山麓の岩室にて最後まで必死に戦いましたが、最後はやはり
坂上田村麻呂の白鳥の矢に当たって亡くなってしまったのでした・・・。
戦いの後、坂上田村麻呂は魏石鬼八面大王があまりにも強かったので
再び生き返らぬようにと遺体をバラバラにして埋めたと言われていて、
その耳が埋まっているのが、この「耳塚」(大塚神社)らしいです~・・・。


「耳塚」の、歴史探索ツアー~・・・。_a0353718_13495492.jpg
「耳塚」は、神社の体をなしていました。周りを大きな木々で覆われて
いて、鳥居があり、拝殿、その奥に本殿かと思われる祠がありました。
とても小さな祠で、この画像の拝殿の中は、何もありませんでした・・・。
小さな祠なのですが、朽ち果てそうな感じではなく、注連縄もあって、
誰かが少し綺麗に整理しているように感じました。

「八面大王」の話は、桓武天皇の時代の話なので、781年~801年頃の
話になります。というコトは、この「耳塚」もこの場所に1200年程も
存在しているという事になりますね!・・・。どうなんでしょう??


「耳塚」の、歴史探索ツアー~・・・。_a0353718_13500436.jpg
鳥居の上の看板(?)には、「大塚神社」と書いてありました。これは、
どうなんでしょうか??・・・。一応「大塚神社」は、耳の神様らしいの
ですが、それ以上の詳細は分かりませんでした・・・。


「耳塚」の、歴史探索ツアー~・・・。_a0353718_13500269.jpg
拝殿の奥には、約10mほどの渡り廊下のような橋が架かっており、
その奥に塀で囲われた場所に小さな「祠」がありました。祠は大きな
丸い石の上に建っていて、この場所の鎮魂を意味するものとしては
理解できるように思います・・・。


「耳塚」の、歴史探索ツアー~・・・。_a0353718_13500851.jpg
「耳塚」の全体を、少し離れた場所から見てみると、塚全体が少しだけ
盛り上がっています。周りが田畑で平坦な場所なのに、この場所だけ
丸く盛り上がっていてその上に神社が建っているので、ここが「塚」で
ある事が分かりますね・・・。


歴史はいつの時代もどこの場所でも、勝者の記録です。この八面大王
の話でも、昔安曇族がこの地にいて、その頃に戦っていた「仁科氏」が
書いた「仁科濫觴記」に「魏石鬼八面大王」の話が書かれているらしいの
で、敵である安曇族の「魏石鬼八面大王」は悪者=鬼として物語の中に
書かれているのです・・・。でも逆に安曇族側からすれば朝廷に反対して
敗れた自分達が犠牲者で、朝廷と手を組んだ仁科氏側が侵略してきた
悪者ということになります・・・。どちら側からこの物語を見るのか?で
物語は違った捉え方になり、この八面大王の物語を安曇族側から見ると、
侵略されて戦いに敗れ、「安曇」という名前も葬られた「安曇族」の哀しい
お話が、僕には感じられてしまうのでした~。
皆さんは、どう思われるでしょうか??・・・。


「安曇族」の逸話や伝説は、この松本市~安曇野や安曇郡にた~くさん
あります。また「安曇族」は日本最古の歴史書である古事記や日本書記
にも天皇よりも先に出てくる名前であり、現在では、安曇族が日本で
最初に国を創った最古の種族だという研究結果もあるのです。そして
僕達の乗鞍高原も平成の大合併の前は「安曇村」であり、とても面白い
日本創生の安曇族の歴史ロマンへと話しが繋がっていく場所なのです。

歴史ロマンが感じられる乗鞍高原の「カフェ・スプリングバンク」へと
安曇族の話をしに来て下さい~~。ご来店お待ちしています~。
よろしくお願いします~・・・・。



by springbk2 | 2023-06-05 07:01 | 歴史探索 | Comments(0)