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ニッカの創始者「竹鶴正孝」・・・。

書こう、書こうと思っていたのに、昨日スッカリ忘れていました・・・。
昨日の6月20日は、ニッカの創始者「竹鶴政孝」さんの誕生日でした。
なので今回は、お酒のウンチクとして「日本のウイスキーの父」である
「竹鶴政孝」さんの事を書こうと思います・・・。

ボトルは、「ニッカ、竹鶴、12年」です~~。
ニッカの創始者「竹鶴正孝」・・・。_a0353718_13103717.jpg
「竹鶴政孝」さんは、広島県竹原市にある竹鶴酒造の三男として6月20日
に生まれました。酒造の酒蔵は長男が継ぐので、「竹鶴政孝」さんは大阪
工業大学の醸造科に進みました。そして1916年、その大学の先輩である
「岩井喜一郎」さんを頼って、岩井さんが常務をしていた大阪の「摂津酒造」
に就職するのです。ここから洋酒の人生が始まったのでした。

その頃の「摂津酒造」は、本物のウイスキーを日本で製造→販売を目指して
おり、社長の「阿部喜兵衛」と常務の「岩井喜一郎」の命を受けて、」1918年
に単身でアメリカを経由して→スコットランドへウイスキーの製造を学ぶ
ために渡りました。最初はグラスゴー大学で学び、その後ロングモーンや
キャンベルタウンのヘーゼルバーン蒸留所でウイスキー製造の実習を行い
ました。そして、グラスゴー大学で知り合った「ジェシー・ロバータ・カウン」
リタさんと親愛を深め、1920年に結婚。2人で日本へと帰って来たのでした。

日本へ帰って来た「竹鶴政孝」さんですが、その頃日本も第一次世界大戦後
の世界恐慌の影響で、ウイスキー製造を計画していた「摂津酒造」の資金も
厳しい状態で蒸留所建設が出来ませんでした。しかし、同じころに国産の
ウイスキーを製造しようとしていた大阪の洋酒販売業者「壽屋」(サントリー)
の社長「鳥井信治郎」が「竹鶴政孝」さんをヘッドハンティング!「鳥井信治郎」
の元で日本国産ウイスキーの製造に取り組んで行くのでした~。

最初「竹鶴政孝」さんは、スコットランドと同じ風土の北海道に蒸留所を建設
したかったのですが、「鳥井信治郎」が近くが良いと反対。大阪近郊で場所を
探して、お水の良い大山崎の地に「山崎蒸留所」を1924年に建設しました!
これが日本で最初のウイスキー蒸留所第一号となりました。そして1929年
「サントリー白札」が国産ウイスキー第一号として販売されました!!

しかし、やはりと言うか、「サントリー白札」は売れませんでした・・・。原因は
当時のウイスキーはピート香があり強烈で、日本人の口には合わなかったよう
です・・・。それでも本物のスコッチウイスキーを目指したい「竹鶴政孝」さんと
マイルドで売れる商品を造りたい「鳥井信治郎」の間で確執が出来、1934年に
「竹鶴政孝」さんはサントリーを去り、北海道の余市に渡り、今度は自分が想う
最高のウイスキーを造ろうと会社を立ち上げたのでした。最初は、ウイスキー
は熟成に何年もかかるので造ってもスグには販売出来ないため、周辺のりんご
農家さんからクズりんごを集めてきてりんごジュースを販売しながら、裏では
ウイスキーを少しずつ製造していました。なので社名が「大日本果汁株式会社」
でした。そして1940年にウイスキー第一号を販売する時に、社名を短縮して
「ニッカ」として、「ニッカウイスキー」という名前で販売したのでした!!・・・。
コレが「ニッカ」の始まりでした~。

その後も、第二次世界大戦があり、戦後もウイスキーが売れない時代も続き
紆余曲折あったのですが、1969年には宮城狭蒸留所を建設。ニッカは日本の
ウイスキーの時代を築いていきました~。

1979年8月29日に、85歳で亡くなりました・・・。「竹鶴政孝」さんは妻のリタ
さんと共に余市蒸留所のある余市町に埋葬されているようです~・・・。


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現在のウイスキー「竹鶴12年」は、ブレンデッド・モルト・ウイスキーとなって
います。「竹鶴政孝」さんへ思いを馳せながら、ニッカウヰスキーを飲んでみて
はいかがでしょうか??・・・。




by springbk2 | 2025-06-21 07:00 | お店のお酒のご紹介 | Comments(0)